報道の違和感
テレビをつけると毎日のように痛ましいニュースが流れている。
今回は、人が亡くなった記事について思うこと。
どんな理由があっても人を殺してはいけない。そんな当たり前の事をなぜ犯してしまうのか。
報道で受ける印象は、必ずと言って良いほど犯人が悪い。
帽子やフードを被り顔を隠す中、シャッターを切られその画像に氏名年齢を表記される。
インタビューを受ける知人等は、故人を良い人で恨みを買うような人ではないと発言していることが多い気がするがなんて信憑性のないことにばかり人は耳を貸すのだろうと思う。
もちろん、故人を悪く言うのは人としてどうだろうとはなるが、犯人側にもそれなりの理由があるはずだ。
サイコパスは置いといて、例えば元交際相手を刺したような記事に目をやるとストーカーや異常者と思われがちだが、なぜ愛し合っていた同士がその感情になるのか。
別れ方はすごく大事で片方はまだ気持ちがあるのに、もう片方は冷めてしまった場合はその気持ちの大きさで対応が変わるように思う。
簡単に別れられるならその程度、相手を想うからこそ別れる形もある。
ただ事件に発展するケースはあまりに一方的でメンタルを崩されるような振られ方をしているんじゃないかな。
少し前まで好意があったが、人間は勝手な生き物だから嫌いになるのも早い。
人間は感情の生き物だから、気持ちを疎かにすることは裏切り行為と捉えるだろう。
つまり言いたいことは、ここで一つ殺人は起きている。命ではなく、心の殺人。
メンヘラ・重い・等の言葉。
捨てる側になんて都合の良いものが作られたのだろう。
心に負った傷は、時間しか解決方法はないと思うがそれを抑えきれない人間を弾いてヤバい奴認定をする報道の仕方がすごく嫌いだ。
ニュースの内容なんて目にしてもたかが一瞬かもしれないし、記憶からもすぐ消える。世間からは。
当事者にとっては一生残る大怪我・後遺症である。
仮に、「故人は元交際相手にひどい仕打ちをし相手のメンタルを壊すようなことをした為、刺されました。」
ここまで流れれば、まだ納得は出来る。
世の中結果がすべて、内容など興味がないという現代を象徴している。
決して、殺人犯を肯定するわけではないが何事も理由があるのだから真実を伝えてほしいと。
コメンテーターの個人的な意見よりも、そっちの方に時間使いなよってね。
以上です。